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沖縄探訪その4 慰霊の日 [沖縄探訪]

5月25日に記事にした、『沖縄探訪その3 「琉球処分」って何? 』をもってカテゴリー「沖縄探訪」は書かないつもりでしたが、
今回は、本日6月23日のことを簡単に書こうと思います。

なお、結構重い内容です。適当にスルーしてください。







時は第2次世界大戦末期。


1945年3月、アメリカ軍は日本本土攻略のための航空基地確保を目的とし、沖縄本島に攻め込みます。
まず、3月26日に慶良間諸島に上陸、占領した後、4月1日、北谷(ちゃたん)の海岸から本島に上陸します。
その際、日本軍は水際での上陸阻止作戦はとらず、アメリカ軍は無血で上陸します。


      前年のサイパン戦で水際作戦を取ったところ、日本軍は短期間で玉砕してます。
      そのためもあり、戦力的に劣る日本軍は水際作戦は止め、地上戦に持ち込み、持久戦を取ります。
      兵力差を考えると勝てる見込みの無い戦いであり、本土決戦に備えた時間稼ぎであったようです。


その後圧倒的な物量と人員をもつアメリカ軍は徐々に勢力を拡大し、5月31日に日本軍の司令室があった首里城を占領します。
(この時、首里城、守礼門他、今残っていれば世界遺産に登録されたであろう、歴史的建造物を徹底的に破壊しました。)

日本軍司令部は首里城を離れ南部に撤退しますが、6月11日に陸軍部隊は玉砕し、6月23日、司令官である牛島中将は自決します。
この6月23日をもって沖縄県内において、組織的な戦闘が終結した、とされております。



6月23日で組織的な戦闘は終わり、日本軍は解体しましたが、これで平和が訪れたわけではなく、むしろこれからが悲惨を極め、
事情を知らない兵士や一般民間人の犠牲者はその後も増え続けました。
政府はいまだに認めませんが、集団自決も各地であったようです。
沖縄戦における民間人の犠牲者約10万人のうち、半数以上は6月23日以降に亡くなった、という統計もあるようです。


      司令官の牛島中将は一般民間人の巻き添えをいかに防ぐかを色々と画策していたようですが、
      大本営自体が沖縄は本土決戦に備えるための捨石、と見ていたため、ほとんど何も出来ずに終わってしまったようです。




この6月23日を沖縄県は「沖縄県慰霊の日を定める条例」によって「慰霊の日」と定めました。
官公庁や小中学校は休みとなり、沖縄全戦没者慰霊祭が執り行われます。



こちら、慰霊祭が行われる糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園です。
平和祈念公園
沖縄に来て、ここに何度か足を運びましたが、どうしてもここでは写真を撮る気になれないんです。
なので、この写真はWikipediaより借用しました。







色々と個人的な感想等を書きたいのですが、今回は止めておきます。

こんな話にお付き合いくださり、ありがとうございました。

なお、今回NICEは閉じておきます。
一応、コメ欄は開けておきますが、内容が内容だけに、コメなしで結構です。



ではまた。



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